広瀬伯鱗は庶民的な気性で知られる鍼医であり、私の許をも訪れたことがある。口、両手、両脚に鍼をはさみ、一度に患者に施すため、吉原町辺りでは「五鍼先生」の異名を取るという。 “#089 奇病と鍼術のこと” の続きを読む
#088 旧室という人のこと
宝暦の頃まで俳諧の宗匠をしていた旧室(※奇行で有名。天狗坊とも号した)という人は、並はずれて背の高い異相の持ち主であり、数々の逸話を残している。欲心は少しもなく、わずかばかりの衣服もその場の盛り上がりによっては脱いで人に与えることなどもたびたびであった。 “#088 旧室という人のこと” の続きを読む
#087 天命自然のこと
天明二年のことである。内密に済まされた事件であるゆえ、実名は伏せる。おりおり訪ねてくる者から次のようなあらましを聞いた。 “#087 天命自然のこと” の続きを読む
#086 忌み嫌うもののこと
享保の頃、御先手(※行列の先頭に立つ役職)を勤めた鈴木伊兵衛は、百合の花を異常に嫌っていた。 “#086 忌み嫌うもののこと” の続きを読む
#084 実母散のこと
中橋大鋸町の木屋市郎右衛門という町人が、実母散という産前産後のほか婦人病によく効く薬を商っている。今般都市部、郡部を問わず広く用いられている薬である。その謂われを尋ねたところ、次のような次第であった。 “#084 実母散のこと” の続きを読む
#083 碁の名人のお答えのこと
有徳院様の御代のこと。あるとき、上様が碁所の者にお尋ねあらせられた。
「碁の力が同様であれば、先手の者が常に勝つものと思うが、どうか」 “#083 碁の名人のお答えのこと” の続きを読む
#082 雷を嫌うものではないということ
長崎の代官を勤めた高木作右衛門の祖父はその辺りの長を勤める身であったが、雷を何よりも嫌っていた。雷のときのために穴を掘って部屋をこしらえ、さらに横穴を掘って石槨(※石の棺)を置き、雷が鳴るとこの石槨に身を置いてしのいでいた。 “#082 雷を嫌うものではないということ” の続きを読む
#081 信心深い人に神仏の助けがあること
明和九辰年の大火(※目黒行人坂の大円寺から出火。明暦の振袖火事に次ぐ大火として有名)は誰もが知っているが、その折りの出来事である。 “#081 信心深い人に神仏の助けがあること” の続きを読む
#080 人の運はわからないものであること(2)
天明三年卯の年(※1783)、浅間山が噴火した。上州(※群馬)、武州(※東京・埼玉)の甘楽郡・碓氷郡・緑野郡・片岡郡辺りには焼けた砂が一尺から三尺にも降り積もり、田畑・堀・川を埋め尽くした。浅間に近い軽井沢などには火のまま降ったため家も焼け、恐ろしいことこのうえなかった。 “#080 人の運はわからないものであること(2)” の続きを読む
#079 人の運はわからないものであること(1)
安藤霜台の譜代1の家士に、名字は忘れたが幸右衛門という者がいた。今は既に亡くなっているが、紀州の半島の先に位置する黒井村の出身である。加田と海を挟んだ向かいにある島同然の土地だという。 “#079 人の運はわからないものであること(1)” の続きを読む