#075 京都風の神送りのこと

天明元年の冬には風邪が大流行した。この風邪は大阪から来たともっぱらの噂であったという。

その年には江州山門の御修復があり、勘定組頭を勤める若林市左衛門なども上京し霜月の頃に帰府した。その若林の言葉である。

「この風邪は上方では六、七月頃に猖獗しょうけつを極めたのだが、これについておもしろい話がある。京・大阪には『風邪の神送り』といって、にぎやかに鉦や太鼓を打ちならし、わら人形や賃金を払って雇った非人を風邪の神になぞらえて送り出す風習がある。

私が滞在していた頃も二、三町の若者たちが金で非人を雇い、鉦太鼓に三味線などをもって囃し立てて町の外へと送り出していた。その場の盛り上がりもあったのだろう、興に乗じた若者たちは橋の上から風邪の神に仕立てた非人を突き落とし、大笑いしながら帰った。

突き落とされた非人はつくづく思った。

『金で雇われたとはいえ、たとえ水の少ない時期であろうとも橋の上から突き落とすとはあんまりだ。きっと仕返ししてやる』

その夜、非人は町々の戸を叩き、『先ほど送り出された風邪の神である。また戻ってきたぞよ』と、嫌がらせをして回ったということだ。上方ではよく知られた笑い話だよ」


しもつき 陰暦十一月

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