#074 両国橋の幾世餅のいわれのこと

幾世餅いくよもちは、浅草御門内の藤屋市郎兵衛が元祖である。両国橋の小松屋は元来橋本町の辺りに住む吹けば飛ぶような餅売りだったのだが、新吉原町の遊女、幾世という女を妻に迎えて夫婦で餅をこしらえ、毎朝両国橋で菜市に集まった人々に売り歩いた。すでに盛りを過ぎてはいたが「吉原町のいくよ~、いくよ~」と声を上げて売ると思いのほか売れ行きがよく、現在の店を買って引き移ることとなった。

そこで妻の古名を使って両国橋幾世餅を看板として商売をしていたところ、廓にいた頃の馴染みの客達があれこれと世話を焼き始めた。そのひとりが思いつきでのれんを『日本一流幾世餅』と染めて掛け渡した。

その頃、藤屋が町奉行の大岡越前守に次のように訴え出た。

「幾世餅は本来藤屋一軒のものであり、のれんにも藤の丸の印を用いております。しかし、近年、近所に同様の商いを始め、のれんにも藤の丸を染め抜いている店があることは承伏しがたく存じます」

奉行所が小松屋を呼び出して事情を聞いたところ、小松屋は次のように申し立てた。
「私の妻は元遊女の幾世と申しますので、自然にお客様方から幾世餅と呼ばれてまいりました。のれんの印は以前より使っているものでございまして、のれん、看板はいずれも以前に幾代の客だった人からもらいうけたものでございます」

聞いてみれば、小松屋の言い分ももっともである。越前守が言った。

「双方の言い分を聞いた上で予に考えがある。これに従うつもりはあるか」

いずれもその御裁断に従う旨を答えた。

「双方がひとつところで商売をしているから面倒になる。小松屋の幾世餅が妻の名を用いるのももっともであり、藤屋は以前より用いておる。これは如何ともしがたい。
しかるに、双方とも江戸一と看板に印し、これより江戸の入口にその理由を示せ。藤屋は四ッ谷の藤宿に引っ越し、江戸一の看板を出せ。小松屋は葛西新宿に引っ越して商いをせよ。どちらも新宿と呼ばれる土地であるから、同名を使用したところで問題はあるまい」

双方とも辺鄙な土地へ移るのは大迷惑であるので大変に当惑し、話し合いの上、訴えを取り下げて従来どおり商いを続けているという。

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