#073 大坂屋平六、江戸出店のこと

大木伝四郎、芭蕉膏薬、宝筆の三人は同じ村からともに江戸へ出てきた仲間であり、現在は両国で羽振良く暮らしているのだが、村を出る際、互いに立身出世を誓って三人ともそれを果たしたのだとある人から聞いた。伝四郎の父、口哲は口中医であり、私の家にもときどき来るので事情を聞いたところ、次のような次第であった。

芭蕉膏薬、宝筆の先祖も口哲の出身地である播州の人であり、祖父らが旅をしている途中に同道し、江戸表へ案内し世話をした縁で今に至るまで親類同様のつきあいをしているのだという。

伝四郎が初めて江戸へ出たときに同伴していたのは、大坂屋平六、狐膏薬を商う平蔵、油を商い今は両国に住む五十嵐屋である。この四人が江戸表に出る際、次のような約束をした。

「もし四人のうち各々が出世したにも関わらず上手く行かない者があれば、互いに面倒を見よう」

こうして、それぞれが商売に励んだ。

伝四郎は歯磨き粉や口中薬などの辻売りをなし、段々と売り上げを稼いで、あたらし橋に店を出すことができた。五十嵐も両国に油店を出し、平蔵は京都稲荷小路の生まれであることから狐膏薬というものを売り出し、これもそこそこの財産を作った。ただひとり平六のみは商売がはかばかしくなく、本所御家人の荷物担ぎなどして日々糊口を凌ぐ有様だった。

ある日、平六が伝四郎の店を訪ね、愚痴を述べた。

「お前達は相応に財産を築いたようだが、俺は荷物担ぎだ。妻子とも食べる物にも事欠く有様よ」

「そうだった。約束を忘れていたよ。俺達三人で力になろう」

そう言って五十嵐、平蔵に相談したところ、放っておくわけには行かないと世話をすることになった。今の大坂屋平六店は当時九尺店のみすぼらしい木薬屋だったのだが、折良く当時の店主が田舎の上総に帰るため、店、のれんを売りたがっているとの話を聞きつけた。

「ちょうどいい。これを買って平六に商いをさせよう」

在庫や召使いなどを含め、六十両で買うことに決まった。口哲と五十嵐が二十両づつ差し出し、平蔵はそれほど余裕がなかったので十両を出した。残り十両不足だったが、平六の荷物持ちの株、古道具などを売り払い、どうにか八両を作った。平蔵が残り二両を追加し、難なく薬種屋の株を入手して大坂屋平六という店を開いた。

平六も生薬については多少の心得があり、商売に精を出したほか口哲・伝四郎の伝手つてで本町三丁目に今もある酢屋弥兵衛という薬種屋に頼み込み、薬種を詰めた俵からこぼれた材料を掃き集め一俵あたり百文で買い受けた。これを口哲、平蔵、五十嵐たちが手伝って選り分け、もろもろの風を払うという意味で『諸風散』と名付けた風邪薬をこしらえ、分量に応じて八銭から百銅の値を付けた。

当時、引き札などというものはまだなかったのだが、薬の効能を記載した引き札を作り、初めてあちこちの通りで配った。折りもおり、風邪が大流行したため売れ行きはうなぎ登りに上昇し、平六はにわかに豊かになった。その後も年々順調に商いを施し、今では四人の内で一番の豪商となった。

こうしたわけで四人とも親しくしていたのだが、現在家を継いでいる平六は年若くして相続し、当時の事情を知る老人がいないため、つきあいは年々薄くなっているという。


ばんしゅう 播磨。京都の辺り。

きぐすりや 生薬屋。薬の原料を扱う。

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