#069 鬼谷子の心遣いのこと

安永の頃、浅草馬道に鬼谷子という鍼治療を業とする人がいた。雲気の学により人の吉凶を知るという奇翁である。齢百歳とも言われるが、本当の年齢を知る者は誰もいない。その門人が私の許を訪ねた折りに語った話である。

そのころ鬼谷子は久留米侯の屋敷に招かれることがたびたびあり、その優れた技術、また老翁であることにより大変な尊敬を受けていた。

あるとき、老体のことゆえと、玄関を出るところから駕籠かごに乗り、また、門の出入りも駕籠に乗ったままでかまいませんと久留米候から申し渡された。

その後もときどき招かれていたが、三度目のことだったであろうか、いつものとおり裏門から駕籠に乗ったまま入ろうとすると、門番がそれを咎めた。

「駕籠に乗ったまま入るとは何様のつもりだ」

付添いの者が、お許しはいただいておりますと釈明したが、番士はそういう話は聞いていないと首を横に振ったため、やむなく駕籠を降りた。このとき、鬼谷子が付添いに告げた。

「今後、久留米候からお召しがあってもお断り申し上げなさい。もう来るまい」

これを付添いが諫めた。

「先生、大家ではこういうことはよくあることです。御老体をいたわって門内を駕籠に乗ったまま通行してよろしいというお許し自体、異例中の異例なのですし。これまでどおりお召しをお受けするべきと存じますが」

鬼谷子が答えた。

「いまさら金や財産に興味などないとはいえ、身分の卑しい一介の老人に過ぎないこの儂が二十万石の諸侯からお招きに預かっているのじゃ。もったいないことと喜びこそすれ、断る理由などあろうはずがない。

しかし、人と交わり、懇意を深くするには互いの気持ちがぴたりと合っていなければならぬ。至って親しいもてなしを受けるさなかに生じた小さな行き違いは、その対応によって、かえって恩遇を深めるよい機会となるのじゃ。

わしのような軽い身分の者が大家の門内を駕籠のまま通るなどは過ぎた寵遇じゃが、わずか二十万石の家において、主君がそれを許し、また、番士がそれを咎めるというのは号令の不行届きというほかない。『もうお訪ねしません』とお伝えすれば、必ずや『門番の心得違い』などと申されて、またお招きいただくことになるじゃろう。

その節は、この身をどのようにもへりくだって、二度と門内を駕籠で通ることのないようにしよう。これが契機となって家内の上下も和合し、われらの交歓も永く絶えないものになるじゃろうよ」

後日、鬼谷子の語ったとおりになったという。

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