浪花の鴻池善右衛門は洛陽随一の富豪であり、鴻池に財政資金の貸付を依頼しなかった諸侯は大小を問わず誰一人としていない。
天明元年、牧野越中守殿が所司代を、土岐美濃守が御城代を仰せつけられたが、まだ江戸におられた頃のことである。
善右衛門が伊勢参りを済ませて江戸表に出た際、かねてから親しくしていたのだろうか、牧野家は浜町にある中屋敷の長屋に彼を家来として住まわせていた。長屋には諸侯からの借銭の申出が引きも切らず、毎日の接待攻勢に加えて菓子、珍味が山のように届けられていたという。
ある日、善右衛門が借りていた長屋の前で、家中の子供達が大勢遊んでいた。それを見た善右衛門は手代を呼んで言った。
「あちらこちらからいただいた菓子がたまりにたまって、もう捨てるよりほかない。あの子達にふるまってあげなさい」
手代は子供達を呼び集めて菓子を渡し、その訳を説明したところ、大騒ぎになった。
「われわれは侍の子だぞ。捨てる菓子など食うものか。善右衛門がどれだけ金持ちであろうと所詮町人であろうが。この不届者め」
菓子を投げ返し、あるいは石を投げつけるなど、辺りは手の付けられない有様となった。手代はあわてて謝り、決して町民風情が御武家様方を軽んじるつもりはございませんでしたと詫びを入れると、さすがに子供のこと、すぐに機嫌を直したという。