#044 下わらびのこと

 天明元年の夏の初め、私の家をときどき訪ねてきていた自寛という老人が『下わらび』と題した二、三枚の書を見せてくれた。面白い物語であったので、その場で次のとおり転記させていただいた。

伊奈半左衛門の手代、小川藤兵衛が妻の言動を咎め、離縁を言い渡した。その妻は日頃歌を詠み慣わしており、次のようにふすまに書き残して家を去った。

かりそめのことの葉草に風立ちて露のこの身のおき所なき

(なにげないひとこと(ことのは草)が風に吹かれ、思いもよらない事態を引き起こしてしまいました。草の露にも等しい私はたちまち振り落とされてしまいます。一体どこにいけばよいというのでしょう)

藤兵衛の旦那寺の僧は、麻布一向宗に属する京都出身の人であり、僧侶夫婦とも冷泉為村卿とは近しくしていた。ある夜、僧がお伽に訪ねた際にこの話を申し上げたところ、次のように語られた。

「そのようにやさしい心映えがあるのならば、離縁の原因は誤解に基づいているに違いあるまい」

後日、僧は為村卿の言葉を藤兵衛に伝えた。彼は己の短気を悔やみ、妻を呼び返すことにした。

妻は為村卿の言葉に深く心を動かされ、また、一心に打ち込んでいる歌道の上達を願って御入門を申し入れた。僧はその願いを伝えたものの、為村卿はただ穏やかに笑っているばかりでお許しにならない。僧がなおも言葉を継ぐと、為村卿は次のように仰られた。

「その女房にはもちろん会ったことはないが、前に私が『あれほどの歌を詠む者であれば、離縁されるような言葉を吐くはずがない』と言ったために戻された経緯が問題だ。私がその人妻に心を寄せているなどと思われては、歌道を汚すことになる。この女房に限っては三神に誓って弟子にはできない。ただし、歌はいくらでも見てあげよう」

僧はその言葉に改めて為村卿の歌道への覚悟を思い知り、藤兵衛の妻にもこういう理由で弟子にはできないと伝えた。妻もこれほどのお覚悟があっては到底お弟子にしていただくことはできないと深く嘆き、毎日泣き暮らしていたところ、やがて体をこわして病みつき、いまわの際に筆を取らせるよう願って次の歌を書き残し、この世を去った。

知る人もなき深山木(みやまぎ)の下わらびもゆとも誰か折りはやすべき

(誰知ることもない山奥の木の下に生えているわらびのような私。どれほどさかんに萌えいづるとしても、誰が摘んでくれるというのでしょうか)

僧が上京してこのことをお話しすると、為村卿は深く哀れみ、次のような歌を短冊に書かれた。

今は世になき深山木の下わらびもえし煙の行くえしらずも

(山奥の木の下に生えるわらびのようなあなたはもういない。燃えた煙はどこに消えたのであろうか)

また、次のように尋ねられた。

「香典として精香を二斤送ろう。これで供養を頼む。それから、その女房に子はないのか」

「今年十ばかりになる女の子がひとりおります」

「歌は詠むのか」

「幼いゆえ歌は詠めませんが、そこは母の子でありましょう。百人一首などにはよく親しんでいるようでございます」

「その女童めのわらわは私の弟子だ。そう伝えてくれ」

僧は為村卿のお心遣いに感激し、涙を拭く袖を絞った。

僧は江戸に帰ると藤兵衛親子にこれを伝えた。また、為村卿のお弟子である磯野丹波守政武にも伝えると「それは放っておくわけにはいかん」と金を出して位牌を作らせ、亡き女房のことを政武自ら書き取って位牌に彫らせ、僧の寺に納めさせた。

以上、政武が『下蕨』と名付けて語ったこの物語のあらましを書き留めた。


  • とぎ 話し相手をしてつれづれを慰めること。退屈を慰めること。〈日本国語大辞典〉
  • さんじん 和歌三神。歌道守護の神々。住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂をいう。一説に柿本人麻呂・山部赤人・衣通姫(そとおりひめ)とも。

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