#043 妖怪は存在しないとも言い切れないこと

 安永九年子年の冬から翌春まで、関東六国の川普請御用のため、諸国を廻ったことがある。 大貫次右衛門、花田仁兵衛その他が私の供をした。花田は当時五十歳余り、 普請の経験も長く、頑健な体躯を持つ不敵な男である。

安永十年丑年の春、玉川の流域を巡り、押立村に至ったときのことである。 私はその村の長の平蔵という者の家に宿を借り、他の者共は最寄りの民家に宿を取った。通常は朝早く次右衛門、仁兵衛らが私の宿泊している家に集まり、 一同で次の村へ出立することになっている。

ある日、仁兵衛が遅刻したことがあった。

「体調でも悪いのか」

「いえ、たいしたことはございません」

その次の日、私の宿泊している家に集まって昼間行った調査結果の整理をしていると、仁兵衛が押立村の宿泊先でちょっとした事があって眠れなかったため遅れてしまったという話になった。

「何があったのだ」

「は。その日は羽村を立ってから雨がそぼ降る中、股引きと草鞋で堤を上り下りして大変くたびれましたゆえ、殿の旅籠に寄ることなく、まっすぐ自分の宿泊先に戻り、すぐに休もうと思っておりました。

私の寝所には、本家から廊下続きになる少し離れた部屋が当てられました。 従僕などの部屋から離れたところにあります。 通常は人の住んでいない部屋らしく、戸垣もまばらで庭には雑草が高く茂っておりました。

どうも用心のよろしくないところと思い、戸締まりなど十分に確かめて床に就いたのですが、うとうとし始めた頃、天井に何か大きな石を落としたような音を聞いて目が覚めました。

頭を起こすと、枕元に薄汚れた座頭のような者が、汚い縞の単衣を着て、両手を着いております。

「座頭ですか」と声をかけようかと思いましたが、「座頭ではない」などと返事をしてこないとも限らないのでうかつに声もかけられず、気の迷いに違いないとあれこれ考えましたが、とにかく座頭の姿をしている曲者には違いないので、起きあがって枕元の脇差に手を伸ばすと、座頭は姿を消しました。

やはり心の迷いだったのだろうと懐の御証文などを確かめ、戸締まりを再度確認し、再び横になりました。 薄気味の悪いことがあったため、眠れないことを心配しておりましたが、昼の疲れのせいか、すぐに眠ってしまったようです。

しばらくして、ふと目が覚め、枕元を見ると、またさっきの座頭がおります。今度は両手を大きく拡げ、今にも襲いかからんばかりの様子。たまりかねて布団をはねのけ脇差を取り上げると、また消え失せました。

行灯に火を入れ、座敷内を隈なく改めましたが、人の入る余地はどこにも ありません。 従僕を起こそうとも思いましたが、はるかに遠く隔たっておりましたので、人に聞かれるのもどうかと思い、また横になりましたが、さすがに寝付けません。

座頭はそれきり現れませんでした。まったく狐か狸の仕業としか思えない次第でございます」


  • ざとう 盲人で剃髪(ていはつ)して僧体となり、琵琶、箏、三味線、胡弓などを弾いて歌を歌い、語り物を語り、また、あんま、はり、金貸しなどを業とした者の総称。〈日本国語大辞典〉

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