#038 遊女の悪巧みのこと

享保の時代のことであるらしい。田所町の名主が傾城けいせいを請け出し妻とした。この妻が大事にしている箪笥たんすには、朝夕鍵をかけ人には決して手を触れさせない謎の引出があり、夫にすら開けることを許さなかった。元の勤めが勤めであるだけに夫は自分以外の男の存在を疑い、いろいろと尋ねたが妻はのらりくらりと話をはぐらかすばかり。とうとう辛抱できなくなり強硬に問いただすと、妻は仕方なげにぽつりぽつりと口を開いた。

「大金を払って請け出していただいた旦那様のお心をいたずらに煩わせることのないようにと考えた故の仕儀にございます。いま、この引出をお見せしてはお心が遠のくのではと心配でなりませんが、お疑いとあれば是非もないこと。お見せいたしましょう」

開けた引出に入っていたものは、案に相違して袈裟・衣鉢などの仏具であった。夫はあんぐりと口を開けた。

「なぜ、こんなものを」

「勤め始めた頃から馴染みの人がおりました。遊女と客の間柄ながら、ともに死を誓いあうほどに契りを深めたものの、その方は若くして亡くなられてしまいました。

その日から私も出家しようと心を決めましたが、自分の身すら自由にはならない憎き境遇。傾城の常として媚びを売り、閨房の戯れを重ねながらも、胸の内は出家浄身のことのみを思う毎日でございました。

旦那様にこの身を請け出され妻としていただきましたが、これもまた大金を払ってのこと。到底このようなお話を申し上げるわけにはまいりませんでした」

女房は涙ながらに語った。夫もこれを聞いて感動に目を潤ませた。

「お前はなんという殊勝な女だろう。俺も男だ。離縁を許す。願いのままに出家しなさい」と見得を切った。

「ああ、ありがたいお言葉」

女は声をあげて泣いた。

「大枚を費やしてお前を手に入れたが、その心がけには胸を打たれた。このような話を聞かされては妻として縛り付けておくわけにもゆくまい。早々に寺の者を呼び、剃髪する手はずを調えよう」

「なにからなにまでもったいないことでございます。ですが、出家するからにはもはや三界に家を持たぬ身。今日より托鉢して露命をつなぐ覚悟こそ必要と存じます」

女は申し出を断り、翌日にはどこへともなく立ち去った。

夫も、この話を聞いた人々も「さてさて、いまどき珍しい一途な女だなあ」と語りそやしていたが、しばらくして、そう遠くない町でこの女が髪結らしき男の妻となって暮らしているらしいことがわかった。

廓で馴染みの男と申し合わせのうえ、夫を謀って離縁を承諾させ、この男と夫婦となったようである。諺に「傾城に誠なし」というが、そこまでするかともっぱらの評判であったという。

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