#036 詐術は人の弱みにつけ込むということ

 最近のできごとである。上総あたりのある寺の住職が、公事のため江戸へ出た。とんでもない破戒僧であり、新吉原へ入り込み、ある遊女に入れ込んで金を使い果たしてしまった。一度寺へ戻り、檀家に公事で必要だからと偽って金を集め、器物を質入れして、金二、三百両を持って江戸へ舞い戻ると、また同様にして使い果たしてしまった。さすがにもうどうにもならずに浅草寺脇の馬道の辺りに家を借り、残った金で遊女を郭から請け出して妻とした。

一月ほどたった頃、町内の若者の伊勢講仲間から「今年はあんたに伊勢の代参に行って欲しい」と申し出があった。いろいろと理由を述べて辞退したものの、どうしてもとの願い出を断り切れず賽銭と路銀を受け取った。男は妻にこのようなことになってしまったと告げた。

「しかたありません。留守のことはご安心を」

男は、よくよく気を付けるようにと申しつけて伊勢へ旅立った。

やがて参詣を終えて戻ってみると、住んでいた店には「貸店」の札が貼られ、女房の行方も知れない。「これはどうしたことか」と家主の元へ駆け込んだ。

「あれまあ、あんたが失踪したと奥さんがいうから、奉行所へもそのように届けたし、保証人だという○○に家財を引き渡し、奥さんもそちらへ身を寄せたところだ」

「さては女房のやつ、遊女のうちから俺の他に男がいたか」と怒り心頭に発して保証人の家を訪ねたが、これまた行方が知れない。進退ここに窮まって途方に暮れていたが、そのうち腹も減り、田町の正直蕎麦へ立ち寄って、蕎麦などをすすった。もともと脛に傷を持つ身であり、こうなったうえは川に身を投げるしかないかなどと思い詰めていたところ、蕎麦をたぐりながらその様子を見ていた医者のような風体をした男が、蕎麦屋の下女を呼んで耳打ちした。

「向こうの男には死相が浮いている。まず、今日までの命だな」

下女はそれを聞いて顔色を変え、面倒を起こされてはたまらない、早く追い出そうと男に声を掛けた。

「お客さん、なんだか顔色が悪いよ。あそこにいる人がいうには死相が浮いてるそうだから、今日は早く帰って家で養生なさいな」

男は大変に驚いた。

「あなたは人相見でらっしゃるか。仰るとおり、私は死を覚悟しておりました」と、ここに至ったいきさつを話した。

「捨てる命を拾って世間を渡る心積もりはおありかな」

「どんなことでもする覚悟はあります」

「よろしい。ならば私の所へ来なさい」

男は並木通の医者の家に連れられ、下男同様に使われていた。

あるとき医者が男に告げた。

「あなたは妻の行方を探したいのだろう。私に考えがある」

医者は浅黄頭巾に伊達羽織をあつらえて男を飴売りに仕立て上げ、もともと出家なのだからと歌念仏を教えた。

「この格好で江戸中を売り歩けば、きっと女房を見つけることができるだろう」

男は、いわれるままに歌いながら飴を売り歩いた。

この飴売りは、安永六酉年の夏頃から翌戌年まで、もっぱら江戸を売り歩いているのが見受けられた。その様子は、浅黄頭巾に袖無し羽織を着て、日傘に赤い布を下げ、鉦を打ちならし歌を歌うというものだった。その歌は、当時の役者や出来事をおもしろおかしく扱ったものである。歌の文句はいろいろあったが、そのひとつふたつはおぼえているので、それを記す。

さて当世の立物は、仲蔵幸四郎半四郎、かわいのかわいの結綿や、御家の目玉はこわいだ、なまいだこわいだぶつ

あるとき、麻布六本木を売り歩いていると、女房が酒屋を出入りするところを目撃した。その場で宿に駆け込み、例の医者にそのことを話した。

「そうか。女房を取り返す算段をしよう」

それから十日ほどが過ぎたある日のことである。

「準備ができた。出かけよう」

医者は男を連れて麹町の裏通りに入り、近辺を取り仕切る親分らしき家を訪ね、何事か相談し始めた。

「おおかた話がついている。今日、例の家へ乗り込んだがいい」

親分の言葉に医者は丁寧に礼を述べ、その足で麻布六本木の例の酒屋の近くにある商家の軒先に男を残した。

「あんたはここで待っていなさい。後で呼んだらすぐに来るように」

医者はそう言い残して、酒屋の暖簾をくぐった。

「酒の小売りはしているのかな。少し飲ませてはくれないか」

「うちじゃ小売りはしてないんですよ」

そこで医者は銀一枚を与えたところ、酒が出され、女房らしき女が現れて酌をしはじめた。

「奥さんに会わせたい男がおりましてな」

医者は男を呼び入れた。女房は驚いてその場を立とうとしたが、すかさず袖を押さえた。

「この女に間違いないかな?」

「間違いございません」

女房は顔を真っ赤にして奥へ引っ込んだ。医者は酒屋の主人を呼び、酒の礼を丁寧に述べてその場を辞した。

二、三日が過ぎた頃、麹町の親分が子分を数人連れて現れた。

「六本木の酒屋を潰してきた。家財一切合切で百両ほどになったわい」

医者は金を受け取って「これはお礼に」と二十両を差し戻した。

その日は男を呼び、豪華な料理を終日振る舞った。これからどうするつもりだろうと思っていると、膳が下げられ、酒も済んだ頃、医者の旦那寺の関係者に引き合わせられた。

「この男はかくかくしかじかの理由で死のうとしていたところを私が助けました。このたび、お弟子として再度出家させたく、今日剃髪なさってください」

「ほら、湯だ、剃刀だ」と医者が言い出すので、男は腰を抜かした。

「ちょ、ちょっと待ってください。私は一度還俗した身です。また出家できるはずがありません。女房も取り返していないのに、なぜまた出家しろなどと」

「だからこそだ。あなたが勝手に還俗し、在家を欺いた罪は免れようがない。本来死ぬはずだったところをこうして生きているのだ。これを幸運といわずになんと言おう。いま、また出家すれば少しは罪が軽くなろうというもの」と無理矢理出家させた。

「このたびの話し合いで、あなたの女房を奪った男から迷惑料として金を出させました。これについては、たくさんの方々のお力添えをいただいています。お寺に二十両をお渡ししますので、あなたの罪障消滅に使っていただくのがよろしいでしょう。あなたにも十両をお渡しします。出家の費用としてください。残りは、これまでの食費その他の費用としていただいておきます」

この医者は恐ろしく悪知恵が働く男である。ふたたび出家した男は、今は花川戸あたりで托鉢をしているという。


  • くじ 民事訴訟。
  • かずさ 千葉県中部。

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