#031 芸は智鈍によらないということ

「今の鷺仁右衛門の祖父の仁右衛門は、重い病身で惚けているように見え、日常も人と満足に応対することができなかったほどだ。

しかし、当時世間で名優と評されていた七太夫や金春太夫などは『現在乱舞を舞う者のうち、名人といえるのは仁右衛門のみ』と語ったらしい。以来、気を付けて見たところ、普段はまったく物もろくにいえない男が狂言の舞台に上がれば様子が一変するのだ。それは見事なものだった」

安藤霜台の話である。


  • らんぶ とくに定まった型や曲はなく、歌や音楽にあわせて自由奔放に手足を動かして舞い踊るものをいう。平安末期から鎌倉時代にかけて、公家(くげ)貴族の殿上淵酔(てんじょうえんずい)で乱舞が盛んに行われたが、このときの乱舞は朗詠(ろうえい)、今様(いまよう)や白拍子(しらびょうし)、万歳楽(まんざいらく)などを取り入れて歌い舞われた。このような殿上淵酔の乱舞は猿楽(さるがく)ともいわれ、やがて専業の猿楽者の演ずる猿楽をも乱舞といった。乱舞はその後の猿楽能はじめ、さらには風流(ふりゅう)踊にも影響を与えたと思われるが、具体的なことは不明である。なお、能楽の乱舞(らっぷ)は一曲のうちの一節を舞うことをいったようである。〈日本大百科全書〉

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