有徳院様の御代のこと、金春太夫は名人との世評が高かった。
あるとき、御前へまかり出た際に有徳院様からお尋ねがあった。
「宝生太夫は名人であると世間で評されているようだが、そちはどう思うか」
「他流のことですので、どうにも申し上げ難く存じます」
この答えに御小姓衆から注文が付いた。
「上様はそのような通り一遍のことをお尋ねしているのではない。心に思うことをありのまま申し上げよ」
金春太夫は大層困った様子でしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「しからば申し上げます。先日、我らはある大名衆からお召しを受け能をご披露致しましたが、料理を振る舞われ、爪楊枝を使ったときのことでございます。
宝生太夫殿は使用済みの楊枝を楊枝差しへ再度差し入れ、また引きだし、今度は一寸ほど離れたところから投げ入れておりました。宝生太夫殿の芸評については、これでご勘弁くださいませ」
「予もそのように思っておった」
有徳院様はそう仰って笑われたということである。この宝生太夫は能は上手いが素行が悪く、芸風も金春の気に入るものではなかったため、そう申し上げたのだという。