#016 本邦で僧官が医師を兼ねる謂われのこと

後小松院の御代の人である半井なからい驢庵ろあんは、我が国において僧官の位を持つ初めての医師なのだという。『最勝王経』天女品には幾種類もの沐浴に使用する薬剤の製法が記されていたのだが、当時は比叡山の仏庫の奥深く収蔵されていた。

これを閲見したいと奏聞したところ叡山へ勅命が発せられたのだが、俗体の者には拝見を禁ずるとのこと。そこで半井驢庵は剃髪して僧の姿となり僧官の位を受け、『最勝王経』を閲覧することができたのだという。

「昔はこのようなことがあったのです。しかし、そうまでして入手した『最勝王経』の薬方ですが、たいして効き目のあるものとは思われませなんだ」

ある老医の話である。


  • ごこまついん 第一〇〇代後小松天皇。後円融天皇の第一皇子。母は三条公忠女通陽門院厳子。名は幹仁(もとひと)。永徳二年(一三八二)北朝の天皇となったが、明徳三年(一三九二)後亀山天皇から神器を継承し、ここに南北朝合一が成立。応永一九年(一四一二)譲位して院政を行なう。〈日本国語大辞典〉

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