#14 本地垂迹説への反論

とはいえ、そのように神の御徳が仏に勝るのは重々わきまえているとしても、なお仏者として一生を終わるのは哀れというほかない。いまだに真の道を詳しく学び得ず、世にあまねく普及している仏教を捨てがたく思うのに加えて、その仏教ともてはやされるものの多くが後世に人の手で作られたことをも知らずその奸策に惑い、神を仏の垂迹と思う故の誤りである。

さて、『[土蓋]嚢抄』に「いったいなぜあからさまに我が神を差し置いて他所の利益を仰ぎ奉ろうとするのか。もし、当地の神が不信の者の過ちを咎めて祟りをなされるとすれば、いかに頼み奉るといえども他所の神が助けてくださることはないだろう」とあるのはもっともなことではあるが、物部大連尾輿や中臣連鎌子が仏教導入論を退けようとしたときの言葉に「我が国家は常に天地社稷百八十神あまつやしろくにつやしろももやそのかみの祭をもって本義と為す。改めて蕃神ばんしんを拝むなどすれば、国の神の怒りを買うことになるだろう」と仰った根本義をも思い起こさず、なお仏にへつらい、僧で生涯を尽くすのはまったく哀れである(また、物部守屋大連や中臣勝海連の言葉には「なぜ我が国つ神に背いて他神あだしかみを敬うのか。かつてこのような試しがあったことはない」ともある。蕃神といい他神というのは仏のことである)。

また、無住法師が「心ある人は公顕僧正の口跡を学びなさい」というのはもっともなことだが、『荀子』とかの譬えを引いて神を仏から出た垂迹と考えるのは法師としては無理もないとはいえ、実は国土、人民、草木はもちろんのこと、釈迦も達磨も猫も杓子も、とどのつまりみな神の垂迹であって、神は万物の本源であると知らないのは誠に哀れむべきことである。

そもそも、仏が元であり神が垂迹であるという説は、林羅山先生の言葉に「こういう異端の説は私が捨てたことにより理論的に立ち行かなくなったため、外道が日の神は大日如来、その他の神も元々は仏であり垂迹が神だなどと屁理屈を付けたものだ。時の王侯、有力者はこれをすっかり信じこみ、真実に気づくことがなかった。やがて神社と仏寺が混淆してしまったものの、これを少しも疑わない状況となっている。現在、真実を知っているのは書を読み、理を知る一部の人のみである。私が雇われの身だからいうのではない」とあるとおりである。

にも関わらず法師などはいうに及ばず、世の愚人も「仏が本地、神は垂迹」と当たり前のように口にするが、もしその言葉どおりであるならば神は仏の心のままでありそれを妨げることなどできようはずもない。仏祖は元より、神は心のままに人間をつくり、仏教では魔羅などと呼ばれるもっぱら悪業をなす要因としかならない器官を付けて人に淫情を持たせた。仏が神ならば、そのもの故に修道を妨げ悪道に落とすのは一体どういうことなのか。

仏祖もそうした器官を持っていたことは妻を三人持ち、子も三人生ませていたのだから議論の余地はない。この一物があるために淫欲の心が生まれる。これを神に産霊の心のままにつくらせておきながら、僧の道に不淫の戒を守らせるのは、深い井戸を掘って水が出るのを憎むに等しい馬鹿げたことではないか。このひとつをもってしても神は天地万物の本地であることがわかる。このような論議はまったく程度の低いものだが、世の愚人の目を覚まさせるために『古今妖魅考』に詳述したことの一部を紹介した。

さて、勝五郎のことについても法師達、あるいは法師ではなくても仏教に共感を抱く人々は何かにつけて牽強付会し仏説の真実である証拠としたがり、古事もこの事件も生まれ変わりといえば仏の霊威のように考え、事件を記録するに当たってもその立場から書き取ろうとするのはいまに始まったことではないが、およそ天堂地獄、再生転生、因果応報などの趣はその伝承の精粗はあれ、いずれの国にも古来から伝えられていることであって、仏祖が初めて述べたことではない。

元から仏になど関係のないことであるのに、事実・逸話に種々の枝葉の論が付けられて雨後のたけのこのように沸いて出てきた仏教経文を、その謂われをよく検討もせずに盲信して思い惑った世の仏学者たちの過失なのである。いまだ仏説が渡来する以前の和漢の書の古事を詳しく研究し、考察することが必要であろう。

 

文政六癸未年五月八日

伊息廼屋いぶきのやのあるじ記


  • すいじゃく 仏が衆生救済のため仮の姿で現れること。
  • はやしらざん 江戸初期の儒学者(1583-1657)。主要著作『本朝神社考』において本地垂迹説をもととした神仏習合思想を排斥し神儒一致を説いた。
  • いぶきのや 篤胤の号

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