#11 漢籍に見る転生

再生の事例は和漢・古今を問わず多く見られるが、漢学をかじった見識の狭い学者らはこの理を少しも知らずにあり得ないことだと断言してはばからない。これについては先に『鬼神新論』の中で論駁しているのでここでは触れないことにする。

また、仏者はこうした考え方を認めているように思われるものの、あまりにみだりがましく、誰でも再生・転生するかのようにいう。人が世に生まれるのは、神の産霊むすびによって一日に千人死ねば新たに千五百人生まれる定めの中で、ごく稀に人が動物に、動物が人に、人が人に再生させ給うことがあるのであり、仏者はそのごく稀な例を普遍化する過ちを犯している。

再生・転生は神の秘事中の秘事であるのに、極々稀に前世を記憶したまま生まれる者がいることには定めて深い理由があると思われるものの、凡人に神の御心を計り知ることなど到底できるものではない。

前世を記憶していない再生は除き、まさしくその前世を記憶していた例を漢籍からいくつか挙げて見れば、晋の羊祐が前世で大切にしていた金環の在処を記憶していた例、鮑セイという者が前世に井戸に落ちて死んだことを記憶していた例、唐の孫緬という者の召使いが前世で狸だったことを記憶していた例、崔顔武という者が前世で杜明福という者の妻だったことを記憶していた例など、多くの書に見え数え尽くすことはできない。

よく知られている事例の一つに勝五郎の一件によく似たものがある。『酉陽雑俎』に次のような話がある。顧況という者が晩年に十七歳になる一人息子を亡くした。息子の魂は恍惚として夢うつつのなか家を離れることができなかった。その父は悲しみに打ちひしがれながら一編の詩を詠んだ。

老人一子を喪う 老人が一人息子を喪った
日暮れ泣血を成す 一日中泣き続け、日暮れには血の涙が流れた
心は断猿を逐いて驚き 心は千々に乱れ
跡飛鳥に随いて滅ゆ 息子の姿は飛ぶ鳥を追って見えなくなる
老人年七十 老人は七十歳だ
多時の別れを作さず 別れを悲しむために残された時間は余りに短い

子の魂はこれを聞き、涙にむせんで誓った。「もし、また人となることがあれば、この家に生まれよう」

しばらくして人に捉えられ、ある場所に連れられた。そこには県吏のような者がおり、また顧況の家に託生させたように思った。以後はまったく覚えていないが、気がつくとそこは我が家だった。兄弟親族はみな傍らにいたが、話しかけることはできなかった。生まれた後は何も覚えていなかったのだが、七歳の時である。ふざけて兄が彼をぶったところ彼の口から意外な言葉が出た。

「俺はお前の兄だぞ。どうして俺をぶつ」

家族は驚き、怪しんで何のことかと問うと、彼は前世での出来事を過たずに滔々と述べた。後に進士顧非熊と呼ばれた人の逸話である。

また、『増補夷堅志』に代州カク県の廬キンという人物の事例がある。生まれて三歳にしてよく物をいい、母に告げた。

「ぼくの前世は回北村の趙氏の子だった。十九歳の時、牛を山の下に追っていると秋の雨で滑りやすくなっていた草で転び、崖下に落ちた。何とか起きあがると誰かが側に倒れている。自分と同じく牛飼いが落ちたのかと思って大声で助け起こそうとしたが答えない。よく見ると自分だった。何とかして体に入ろうとしたができなかった。体を見捨てることができず、辺りをぐるぐる回っていると、次の日になって両親が死体を発見した。慟哭する両親に何度も話しかけようとしたのだが聞こえない様子だった。

遂にぼくの体は焼かれた。焼かないでくれと叫んだのだが、やはり声は届かなかった。火葬が終わり、家族は骨を拾ってその場を去った。後に付いていこうと思ったのだが、みな身の丈が巨人のように高く、恐ろしくなって後を追うことはできなかった。

行くあてもなく一月ほど彷徨っていると、どこからともなくひとりの老人が現れた。「家に帰してやろう」というので後を追うと、ある家に着いた。老人はその家を指さして「ここがお前の家だ」といってここに生まれさせた。これがいまのぼくだ。昨日の晩、前世での両親の夢枕に立ってこのことを知らせておいた。明日ここを訪れるだろう。ぼくの家には白馬が一頭いた。きっとそれに乗ってくるはずだ」

その母は到底これを信じることはできなかったが、翌日門で待っていると果たして白馬に乗って来る者がいた。子はこれを見て大喜びして「お父さんが来た」といった。抱き合って泣きながら昔話をすると知らないことはなかった。これ以降、この子は二つの家で養われることとなった。これなど特によく似ている例である。

県吏のような者といい、老人といい、唐土でも城隍神といって産土の神同様土地の鎮守が祭られており、その神であろう。そもそも再生のことは和漢の書籍に多く記録されており、広く採り並べて考察するに、顧況の長男の顧非熊と生まれ、趙氏の子の廬キンとして生まれ、程久保の藤蔵がいまの勝五郎として生まれるなどは、産土の神、唐土にいう城隍神の為したわざであることは明らかであるが、この他に妖魔が再生・転生させることも決して少なくない。これは『古今妖魅考』と名付けた書に別に詳しく論じておいた。

さて、妖魔に惑わされることのなかった大方の人の魂の行く末は、その所々の鎮守の神の司るところであるが、その道の上首たる神霊の鎮まるところに帰して人に生まれることなく、その治めを受けるものも多いだろうと考えられる。

漢籍に、宋の王會、字は孝先という者の父が高齢にも関わらず、孔子の神霊夢に會参を生まれさせ門戸を栄えさせたまえと祈ったところ、果たして間もなく男子を授かった。王會と名付けられたこの子供は後に宋の宰相となった。

宋の高宗の夢に関羽の霊が現れ、張飛を相州岳家の子に生まれさせたと告げた。一方、岳飛の父は張飛が託生するという夢を見て男子を授かったため、その子を岳飛と名付けた。

こうした例は、その上首たる神霊の所に帰していた霊が再生したものであることは疑う余地がない。


  • ゆうようざっそ 酉陽雑俎
    中国,晩唐時代,段成式(803?‐863)の異聞雑記集。前集20巻,後集10巻。段氏は唐代の名家で,父の段文昌は穆宗(ぼくそう)の宰相をつとめた。この書は,段成式自身の見聞を核とし,さまざまな異聞や博物的知識を集大成して成る。その範囲は,中国知識人の正統的な知識のほか,道教や仏教に及び,地域的にはインドやペルシアまで含む。〈雑俎〉と名付けられているように〈ごった煮〉的な内容で,強い主張をもった作品ではないが,特に〈諾皐(だくこう)記〉〈支諾皐〉などの編は,唐末社会の中での説話のあり方を知るためにも重要である。シンデレラ型の物語が,年代的には世界で最も古くこの書物に見えることでも有名。〈平凡社世界大百科事典〉
  • いけんし 夷堅志
    中国,南宋の洪邁(こうまい)(1123‐1202)編。《列子》湯問篇の〈大禹は行きて之(これ)を見,伯益は知りて之を名づけ,夷堅は聞きて之を志(しる)す〉の句に基づき,伝聞の異事を集録して唐の張慎素にすでに《夷堅録》の著があった。洪邁はこれにならって北宋末から南宋初の約100年間の民間雑事を32集420巻に編集し随時に出版した。巻帙(かんちつ)の浩漫なること北宋初期の勅斤書《太平広記》500巻と並んで小説家類の双璧と称せられるが,100年間の事項6000項目という密度の高さは社会文化史の資料としてはるかに《太平広記》を凌駕する価値を持つ。しかしこの浩繁さが災いして完本の復刻をはばみ,わずかに数種の新編節用本で刊行されたにすぎず,したがって元朝以後はこれら節用本もしくは原刻の残欠本,抄本の形で流伝した。1927年,商務印書館より刊行された張元済の輯本(しゆうほん)《夷堅志》は伝来本を総合し,現今最良の刊本である。なお金の元好問に《続夷堅志》4巻,元の無名氏に《夷堅続志》5巻があるが,いずれも洪邁にならったものである。(同上)

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