#09 父・源蔵

ある人の報告に、勝五郎が折々「俺はのの様だから大事にしておくれ」とか「早く死ぬかも知れない」とか「僧に布施するのはとても良いことだ」といったとある。源蔵に「あなたは仏道を信仰しているのか」と尋ねたところ次のように答えた。

「勝五郎が『僧にものを施すのは悪いことだ』といったのは聞いておりますが、その他のことは祖母に申したものか、私は聞いてはおりません。私自身は仏道を深く信仰しているわけではございませんが、父の代から乞食、道心者など門口に立つ者があれば、わずかなりとも施物を遣わしております。これはなにも後生を願うなどといったものではなく、ただ、ものを乞うのを見ると哀れに思うからです。

家内の者達は朔望や式日には鎮守の神に参詣いたしますが、私は日々詣でて神々を尊び、仏閣であっても縁があれば詣でて、無視はしません。とはいってもただ、今日の無事を祈るだけです。

私の住む村の近辺では、徳本の流れを汲んだ念仏講が流行っておりますが、その講にも入っておりません。勝五郎の噂を聞いたあちらこちらの出家が弟子に欲しいといってきます。中には「そのような不思議な子供を農民とすると仏の罰が当たる」などという者もおりましたが、本人はひどく出家を嫌っており、私も好ましくは思いませんので「農民となってはいけない者ならば、我が家には生まれなかったでしょう。農民の私の子として生まれ、本人も出家を嫌っているのですから、農民となって悪いことは何もないと思います」と断ると、その後は出家の弟子に欲しいという話はぱたりとこなくなりました」


  • ののさま 日月、神仏を指す幼児語
  • さくぼう 陰暦の月の一日と十五日
  • とくほん 江戸中期の浄土宗の代表的な念仏行者。紀伊国(和歌山県)日高郡志賀村に生まれた。幼年より念仏に親しみ,1784年(天明4)27歳で往生寺(現,御坊市)の大円について出家した。別時念仏,不断念仏など念仏の行を積み,文字を習わずして仏道の奥旨をきわめたという。紀州藩主の招きに応じ有田山に庵居したが,摂津,河内に行脚して念仏を広め,衆庶の帰依をうけた。〈平凡社世界大百科事典〉

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