#006 寅吉、平田に出会うこと

「さて、母と兄は『ともかく、またお寺に行ってお坊さんの修行を終えてきなさい』と勧めるのだが、それには従わなかった。もともと、三宝(※仏法僧)の道は嫌いだし、以前剃髪したのは師匠の命令だったからだ。

というわけで還俗することにして三月から六月までは家にいた。頭は去年の夏に宗源寺で剃ったままのいがぐり頭で結い上げることができなかったので、伸びるまで待っていたというわけだ。

ちなみに、我家の宗旨は一向宗で母も兄も朝晩に南無阿弥陀仏と唱え、神道を嫌い、ばかにして抹香臭い事ばかりしている。俺が太神宮の玉串を棚に捧げ、拍手を打ち拝んでいたりしていると、兄は『汚らわしい』と塩を撒いたりする。俺も負けずに『仏壇こそ汚らわしいわい』とつばを吐きかけたりなどするので兄弟の仲はよくなかった。山から持ってきたもの、天気を見る書、そのほかさまざまな方法を記した書、また薬の調合を記した書などは、母と兄にみな焼き捨てられてしまい、師匠から賜った差料も、屑鉄屋に売り払われてしまった。

六月の末には髪も伸びて野郎頭となり、ある理由で七月からとある人の家に住みこみで働くこととなったが、俺は長く山で過ごしたため普通の人間に仕えることについてはよく知らない。そこの人間には『お前は馬鹿か』といわれ『役立たず』とも罵られて八月のはじめには家に帰されてしまった。

その後、伝手をたどって上野町の下田氏のところで働いていると、山崎美成さんがそこを訪ねてきた。俺のことを主人から聞き、珍しがって『家へこないか』というので母にも言わず九月七日から山崎さんの家に移った。訊かれるままに山のこと、自分の身の上など少し話したところ、他人の耳にも入るところとなり、多くの人が訪ねてくるようになった。

荻野先生、山崎さんなどのように仏法を好み信じる人には訊かれるままに仏法のこと、印相のことなどを答えて師匠にいいつけられたとおり仏法を邪悪な道だと思うそぶりは見せなかった。なので、『それほど仏法に詳しいのであれば還俗するのはもったいない。紹介の労はいとわないから、ぜひ僧になるといい』と、折あるごとに勧められたが師匠のおっしゃるように俺は本当に神道に宿縁があるらしく、仏法が生来嫌いなため、そのたびに断っていた。

そうこうしているうちに、心ない人たちが俺のことを悪し様にいっているらしい噂も聞こえ、また、俺は世間のものごと、人との接し方をよく知らないので今後どうしたものだろうと考えあぐねていた。ときどき火の見やぐらに上っては岩間山の方を遠く眺める日々が続いた。

その月末、美成さんの店でお使いに行くから一緒にといわれて町に出ると、その途中で同輩の高山左司馬に出会った。だが、こちらは他人と一緒だったのでお互い知らぬ振りをして別れた。師匠の使いで俺に会いに来たに違いないと思って心待ちにしていると、その夜、外から俺を呼ぶ声が聞こえた。それとなく部屋を出て見ると、やはり左司馬だった。

『師匠からのことづてだ。近いうちにお前の力になってくれる人が現れる。心配することはない。それから、十二月三日から寒に入る。例年のように三十日の行があるから、十一月の末までに山に登るようにとの仰せだ。だが、師匠が讃岐国の山周りに当たれば寒行は休みになるので、また里に帰されることになるぞ』

左司馬は、それだけ言って去った」

ここからは後日聞いた話である。

「十月一日に、平田先生と屋代先生が訪れて何かと質問をいただいたが、その質問がほかの人のするようなものではなく、真剣な態度に胸を打たれた。特に平田先生が山崎さんを押し止めて『僧になれと強いてはいかん。入った道を全うさせるべきだ』と言って頂いたのがとても嬉しく、また、ありがたかった。『機会があれば、ぜひ拙宅にも来てほしい』と何度も言って帰られたので、すぐにも行こうと思っていた。師匠が左司馬を通じて『近いうちにお前の力になってくれる人が現れる』と仰ったのはきっと平田先生たちのことに違いないと思い、時期を待っていたのだ」


  • いんそう 仏・菩薩の内面的意志や悟りの内容を表すための器物または手指の形。印契いんげいとも。印を結ぶこと。密教で僧が陀羅尼を唱えながら、手指をいろいろな形に組み合わせること。〈仏教語大辞典〉

コメントを残す