#05 異童実見

以前にもこの不思議な子供について書かれたものを読んだことがある。その後、地頭に呼び出され事情の説明を求められたり、支配頭に届書を出したりということがあったらしい。その写しを見たりしているところに屋代輪池翁に「きみ、行って話を聞いてきてはどうじゃ」と勧められるまま四月二十一日に多門家の用人、谷孫兵衛という人を訪ねた。その日は勝五郎、父源蔵は駒込の西教寺という寺にある人の計らいで出かけていたため会うことができず、谷氏にあらましを伺っただけで帰った。

同人の計らいにより、翌二十二日に源蔵が勝五郎を連れて我が家を訪れた。屋代翁に知らせると、すぐさま駆けつけて来られた。まず、妻と娘と嘉津間(嘉津間というのは元の名を寅吉というのだが、訳あって名を改めた)とに言い付けて色々と気を和ませることに努めつつ話をさせた。私達は物陰で聞いていたのだが、問い漏らしたことが多く気を揉んだ。

二十三日、秋田にいる兄、渡辺正胤が我が家を訪れた。国友能当が風砲を持ってきて撃つ真似などをしていたところに、谷氏が勝五郎を連れてやってきた。

この子供は信友が記したように、再生のことを人に聞かれるのをひどく嫌う。どこへ行くのも嫌がるということで、昨日我が家を初めて訪れたときも「絶対に行かない」と言い張るのを少しの間だけだからと言い含めて連れてきたということだった。

そういうわけなので無理に質問するようなことはせず、家族、弟子達に言い付けてただ心ゆくまで遊ばせ、折を見て少しずつ話を聞くなどするとすこぶる機嫌がよい。終日遊び戯れて「今夜はこちらにお泊まりしたい」とまで言い出したが、谷氏の方に子供の帰りを待つ人がいるとのことで、残念ながら帰した。そのため、また今日訪れたのである。この日、居合わせたのは私の兄と国友能当、五十嵐常雄、志賀綿麻呂、細貝篤資などだった。

二十五日にも源蔵が勝五郎を連れてやってきた。明日は郷へ帰るので挨拶に来たという。この日訪れたのは堤朝風、立入事負、国友恒足などである。また、あれこれとなだめすかして私と事負と嘉津間と三人で話を聞くと「他の人のいないところでお話しします」というので庭に連れ出した。抱き上げて実っていた果物を取らせつつ事負と尋ねたところ、まったく子供の言葉でほとんど要領を得ず、しかも声が小さい。事負は何とか前後の脈絡を推量しながら先述のように記録したのであり、本人があのように筋道だてて語ったのではない。このとき物陰で聞いていたのは堤朝風、国友恒足、土屋清道、矢沢希賢などである。

少しも大人びたところがなく、荒々しい遊びを好む。普通の百姓の子供にしては賢い方かも知れない。日頃から武士になりたいといっている。以前、谷氏が語っておられたとおり太刀・刀を好み、これを差して武士になりたいというので、大小の刀をいろいろ出して抜いて見せると大喜びした。「大人になればこれをやるから、話を聞かせてくれ」ともちかけたところ「それなら」と話をしてくれた。

わざと僧などを尊いもののようにいうと、「あいつらは人をたぶらかして物を取ろうとする悪い奴らだ」とひどく腹を立てる。

「そうはいっても死んで経を読んでもらえば地獄へ行くこともなく、極楽というよい国に生まれるだろう?」

「お前様が好きならばそのようになさればいいです。俺は嫌いだ。極楽だの地獄だの、みんな嘘っぱちだよ」

嘉津間が初めて山から帰ってきたときの様子をどこか彷彿とさせる。

コメントを残す