#005 寅吉、家に帰ること

その後も師匠の元で修行に明け暮れる毎日が続き、去年の九月からこの三月まで七か月もの間家族の顔を見ることがなかった。母は今ごろどうしているだろう、兄貴はまだ年若い、父の死んだ後の暮らし向きはどうなっているんだろうなどとためいきをつきつつ思いをめぐらしていると、その様子が師匠の目にとまったらしい。

『お前は母親のことを心配しているようだが、何事もなく暮らしている。案じることはない。これを見るがいい』との言葉のあと、夢とも現実ともつかない心地になり、そこが山とも家ともわからないまま母と兄が無事に暮らしている光景がありありと見えた。話しかけようとすると師匠の声が聞こえた。驚いて振りかえると自分は師匠の前に立っていたのだった。

『しばらく家に戻るがよい。里に帰った後も邪悪な道に踏み入ることなく、神の道の修行に意を注ぐように。だが、仏道をはじめ好ましからざる道においてもくれぐれも人と争ってはいけない。お前は前世において神の道に深い因縁がある。私はつねにお前を見守っている。いままで教えてきたことのうち世のため人のためになることは行ってよい。ただし、適当な人物が見つからない限り、みだりにここで見聞きしたことを明かしてはならない。

また、私の本当の名を人に明かしてはならない。世間で言われているように天狗としておけ。岩間山に住む十三天狗のひとり、名を杉山僧正ということにしておくように。古呂明のことは当分、白石丈之進とし、お前の名も私が授けた嘉津間という名は名乗らずに白石平馬と称するがよい』

平馬の二字を花押にしたものを教えられ、師匠自ら古呂明、左司間と共に送っていただいた。途中、大宝村の八幡宮に参詣し、神前に奉納された多くの刀剣の中から一振りの脇差を選んで差料さしりょうにと渡された。そして再びしばらく空行して、大きな二王門のある堂の前に降りた。古呂明が『もう、お前の家まではすぐそこだ。ここからは一人で行きなさい』というので、ここはどこなんですかと訊くと、『浅草観世音の前だよ』という。

驚いてよくよくみるとたしかにそうだった。空を飛んでいきなり着いたので、ここがどこなのかよくわからなかったのだ。そこで師匠にお別れの挨拶をして家に帰った。三月二十八日のことだった。


  • くうぎょう 空を飛んで。

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