#03 伴 信友による報告書(1)

去る文政五壬牛年十一月の頃、当時八歳だった勝五郎は姉ふさ、兄乙次郎と田のほとりで遊んでいた際、ふと兄に向かって「兄ちゃんは元はどこの誰の子でこの家に生まれてきた?」と尋ねた。兄が「そんなこと知るものか」と答えると、また、姉に向かって同じように尋ねた。

「どこの誰の子だったかなんてわかるわけないじゃないか。おかしな子だね」

ふさは馬鹿にしたが、勝五郎はなおも得心しがたい様子だった。

「それなら、姉ちゃんは生まれる前のことは知らないのか?」

「あんたは知ってるの?」

「俺はよく覚えてる。元は程久保村の久兵衛という人の子で藤蔵という子だった」

「……なに、あんた。おっとうたちにいうからね」

勝五郎は顔色を変え、泣きながら謝った。

「ごめん。頼むからいわないでくれよ」

「それならいわない。ただし、悪いことして止めても聞かないときは絶対いいつけるからね」

こうしてその場は収まった。

その後、勝五郎が喧嘩をするたびに「あのことをいうよ」というとすぐにおとなしくなった。両親、祖母が怪訝に思ってふさにそれは何のことかと尋ねたのだが、ふさは告げようとはしなかった。さては親に隠れてどんな悪いことをしているのかと懸念した両親らは、勝五郎に隠れてふさに強いて白状させた。ふさは隠しきれずにありのままを語ったのだが、両親らはますます膨れあがる疑念を抑えることができず、勝五郎本人をなだめたりすかしたりするなどして、ようやく口を開かせた。

「俺は元々程久保の久兵衛の子で、おっかあの名はおしづといった。俺が小さいときに久兵衛は死んで、その後に半四郎という人が来ておっとうになり可愛がってくれたが、俺は六歳の時に死んだ。その後、この家のおっかあの腹に入って生まれた」

子供のしどけない言葉で語られ、しかも、到底信じがたい物語であったので、そのまままともに取り合うこともなく日が過ぎた。

さて、母せいは四歳の娘に乳を飲ませるため、祖母つやが毎晩勝五郎と添い寝をしていた。ある晩、勝五郎が「程久保の半四郎の家に連れていっておくれ。あっちの両親に逢いたい」と口走った。何を馬鹿なことをと、祖母は聞き流していたのだが、その後も夜な夜な同様のことをいう。

「それなら、ここに生まれたはじめから詳しく話してみい」

勝五郎はたどたどしくも、これまでのいきさつを詳しく語り、祖母に約束させた。

「おっとうとおっかあ以外には内緒だよ」
(この話は四月二十五日に気吹能屋いぶきのや(※篤胤宅)で聞いた。かつてある人がつやに尋ねて書き取ったものがあるのを知っているが、これはさらに源蔵、勝五郎に経緯を尋ねて答えたものらしい)

「前世のことは四歳くらいまではよく覚えていたけれど、だんだん忘れてしまった。死ぬ病気ではなかったのだけれど、薬がなかったので死んでしまった(疱瘡だったことは知らなかったという。後日人にそう聞いて知ったということである。死亡年月日は文化七年二月四日)。息が止まったときはまったく苦しくなかったけれど、その後しばらく苦しい思いをした。それが過ぎると苦しいことはまったくなかった。

体を桶に強く押しつけると、桶から飛び出してしまい、山へ葬りに行くときは白く覆われた龕の上に乗って行った。桶を穴へ落としたとき、大きな音がして驚いた。いまでもよく覚えている。

坊さん達が経を読んだけれども何とも思わなかった。ああいう奴らは銭金をたぶらかし取ろうとするだけで何の役にも立たないと気がつき、ひどく憎らしく思った(僧は尊いもので経を読み念仏を唱えれば良い国に生まれると聞くが、地獄・極楽は見たかと聞いたところ、このように答えた)。

家に帰って机の上にいたが、人に話しかけても聞こえない様子だった。そのとき、白髪を長く垂らし、黒い着物を着た老人に「こっちへ来い」といわれるままに後を追い、どこともわからない段々と高い綺麗な草原に行って遊んだ。花がたくさん咲いているところで遊んだとき、その枝を折ろうとすると小さい烏が出てきてけたたましく威された。いまでも怖かったのをよく覚えている(「中野村の産土神(※土地神)熊野権現でしょう」と源蔵は語った。烏が出たことについては何となく思い当たることがある)。

また遊び歩いていると、家で親たちが何か喋っているのが聞こえ、経を読む声も聞こえたが、俺はさっきもいったように僧は憎らしく思っていた。供えられていた食べ物を食べることはできなかったが、温かいものはその湯気の香りが美味いと思った。七月に庭火(※かがり火)を焚いたときも家に帰ったのだが、団子などが供えてあった。

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