#089 奇病と鍼術のこと

広瀬伯鱗は庶民的な気性で知られる鍼医であり、私の許をも訪れたことがある。口、両手、両脚に鍼をはさみ、一度に患者に施すため、吉原町辺りでは「五鍼先生」の異名を取るという。

この医者が安藤霜台の屋敷を訪ねたときのことである。伯鱗がある祐筆を見て声を掛けた。

「ご気分が優れないようですが?」

「……ええ」

しばらくして祐筆は全身から汗を吹きだし、顔はたちまち土気色となった。見守っていた伯鱗が肩へ一本鍼を打つと祐筆はウンと唸って気を失ったが、続けざまに足の爪先にも一本打つと息を吹き返した。そのまま治療を施し、一両日経って祐筆は完全に快気した。

「来年の今頃はご用心なさいませ。また、このような病気になるはずです。その際、直ちに治療すれば命に別状はありません」

伯鱗はそう言い残して屋敷を去った。

後日、祐筆は霜台に暇を乞い神楽坂辺りの武家に勤めていたが、伯鱗の忠告を忘れていたのだろう。果たして翌年、同じ病でこの世を去ったという。

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