天明二年のことである。内密に済まされた事件であるゆえ、実名は伏せる。おりおり訪ねてくる者から次のようなあらましを聞いた。
下谷あたりに住んでいたある御徒(※徒歩で行列の先導をする役職)を勤める者の妻は、元来素性も正しくなく、召使い同様の出身だった。気性も頑なであり、常日頃出入りする人々からも嫌われていた。
生来の頑迷固陋、あるいは不義の浮気相手などあったものか行動に不審な点が見られたため、夫が久しく召し使っていた下男に妻の様子がおかしいのだがと相談したところ、下男も同じ意見だった。
ある日、夫は気分が優れないために早退したところ、妻はいつになくいそいそと食事を用意し、膳を据えた。今日に限って妙な真似をする、と夫は妻の所行を怪しんだ。下男も妻が食中に何かを入れたところを見ていたので主人の前へ出てそれとなく目配せをして知らせ、夫もそれに気づいた。
「食事はいらん」
「せっかく拵えたのに」
妻が無理に勧めるため、夫は汁に口を付けたが、気分が悪くなったため膳を突き返した。
「とにかく食べたくない」
夫は、そう言って居間に横になった。
しばらくして、居間からどたばたと人が暴れる物音、うめき声が聞こえた。下男が駆けつけると、妻が夫の首に紐を巻いて締め付けているところだった。夫は体力に優れていたため何とか起きあがり、下男が持ってきた薪割りで妻を打ったところ、天罰だろうか、急所に当たって即死した。
近所の者も駆けつけて来たため、事情を説明し、内密に事を治めた。極悪な女もいたものである。