安永五子年の冬から私は関東の河川工事の御用を承り、諸国の村々を巡っていた。
足利に至り学校1を訪ねたところ、出家が一人出てきて境内の松の謂われなどそこここの案内をしてくれた。当時は既に寺となっており、出家の言葉ゆえ的外れの解説ばかりで、たいして面白いと思うこともなかったのだが、聖像2は見事なものだった。古色蒼然とした木製の座像であり、衣紋、手足の形容は誠に名人の作というほかはない。
だが、普通の聖像と異なり面貌は穏やかな表情ではなく、いささか怒気が表れていた。帰府の後、人にこれを話したところ次のようなことがわかった。
「それはそうだ。足利の聖像は閻魔王の御首を聖像に作りかえたものだと聞いている」
なるほど道理で、と思うままここに記す。
1 あしかが‐がっこう【足利学校】 ガクカウ 中世の足利にあった高等教育機関。「坂東の大学」とも称せられ、儒書・仏書を講述。室町初期に栄え、一旦衰微。上杉憲実が儒書・領田を寄付し保護・統制。以後、戦国大名の保護を受けた。郷学校として1872年(明治5)まで存続。施設の一部は史跡として現存。(広辞苑)
2 聖像 孔子の像