天明元年の八月に仙台河岸伊達候の蔵屋敷で河童を叩き殺し、塩漬けにしたという事件の顛末を松本豆州が図持参で教えてくれた。
その場に居合わせた者から聞いたとのことである。詳しく尋ねると、その屋敷では幼い子供が特に理由もなく溺れて死ぬことがたびたびあったらしい。
原因を探るため掘、淵をせき止めて水を干すと、泥の中を風のように動き回るものがいる。ようやく鉄砲で仕留めたところ、河童だったのだという。
傍らにいた曲淵甲斐守が「昔、河童の絵を見たことがあるが、この絵とまったく同じであった」と語った。その図を次に示す(※底本p.79)。