備前の家士、池田多治見の妻は坊城大納言の妹であり、菊づくりを趣味としていた。
あるとき、夫の機嫌を損なうことがあったためか、多治見は妻に離縁を申し渡した。妻は次のような歌を残して家を去った
身のほどはしらでわかるる宿ながら あと栄え行く千代の白菊
(私はこの家にはふさわしくありませんでした。ただ、残した菊の花とともにいつまでも御家が栄えるよう祈るばかりです)
友人がこれを聞いて、その短気を諫めた。
「夫に反感を抱く女なら、このような歌は詠まないだろうよ」
多治見も心を改め、復縁して幸せに暮らしたという。