ある人が語るところによると、浅草に住むある人相見はとてもよく当たるのだという。私の友人もその人相見に占わせたところ、果たして占いの結果どおりの出来事が起こったという話である。
麹町で権勢を誇る商家にひとりの手代がいた。幼い頃から召し使われ、商売のことは一から十まで知り尽くして実直に働いていたため、主人は相応の元手を出して近い将来のれんを分けてやろうと見込んでいた。
ある日、その手代が人相見の許を訪れた。人相見は一目見て言った。
「運勢など観るどころではないよ。気の毒だが、来年の六月には命を落とすと出ている」
手代は真っ青になった。人相見はなおもためすがめつ手代の顔を観察した。
「どう見ても死相が浮いているね」
所詮占い師の言うことである。男はさして気にもせず、代金を置いてその場を後にした。
だが、やはり気に懸かり、鬱々として心が晴れない。何事にも一途な性格もあって、来年には死ぬのだと思い詰めた手代は親方に暇を願い出た。親方は大いに慌てた。
「理由を言いなさい、理由を」
「理由はこれといってないのですが、出家したいのです。ご迷惑をお掛けして心苦しいのは山々ですが、どうかお暇をいただきとうございます」
「……それほど決心が固いのならば仕方がない。のれん分けのためにと用意して置いたお金がある。これを持ってお行き」
「元より世を捨てる所存ですので、必要になることがあればいただきに上がります」
手代は一銭も受け取らなかった。最小限の身の回りの物を残して残りの衣類などはすべて売り払い、小さな家を買った。毎日托鉢をし、あるいは神社仏閣に詣でて、短い人生の終焉を待つ日々がしばらくの間続いた。
ある日のことである。朝、両国橋を通りかかると、年頃二十歳ばかりの女が身を投げようと欄干に腰を下ろして手を合わせているところに出くわした。男はすぐさま捕まえて引きずり下ろした。
「どうして死のうなんて思ったんだい」
「私は越後の国、高田の農民の娘です。何不自由なく育てられましたが、近所の男の人と不倫して江戸へ逃げてきたんです。五、六年夫婦として暮らしましたが、夫は飲む打つ買うで身上を持ち崩し、その日暮らしのうえ病を得て、とうとう死んでしまったんです。
家賃やらなにやらの借金が山のようにあるものの、返す当てがぜんぜんありません。親元は相応の暮らしぶりと伝え聞いた家主や債権者は毎日毎日払え払えと矢の催促を寄越しますが、若気の至りで故郷を捨てた身です。いまさら親を頼るなんてできっこありません。こうなったら川に身を投げるよりほかないんです。後生ですから見逃してください」
女は涙ながらに語った。
男は話を聞いて不憫に思った。借金の額を尋ねると、たいした額ではない。親方の所へ行き、訳を話した。
「頂戴するはずでした金子は私には不要なものですので、どうかこの女に貸してやっていただけませんでしょうか」
親方も哀れと思い、金子の内から五両ほど渡した。男はこの金で返済を済ませ、事情を説明した手紙を近所の者に持たせて、女を親元へと送り帰してやった。
越後の親は、地元では長ともいうべき資産家であったため、娘が無事に戻ったことを大変喜んだ。昔の勘当は解かれ、家族の喜び振りはたとえようもなかった。
娘に付き添って送り届けた者には厚く礼がなされ、男の許へも丁寧な礼状とともに結構な額の謝礼が届けられた。
さて、翌年の春も過ぎ、六月に至り、とうとう水無月祓も済ませたものの、男の身には一向に死ぬ気配が見えない。人相見に騙されたか、あの畜生めが、と男は親方にありのままを話した。親方は二度びっくりした。
「真面目な性格が災いしてまんまと騙されてしまったのだね。いい加減な占いで人の一生を狂わせるなど言語道断です。これ以上世間にのさばらせては被害者が増えるばかりだ。行ってこらしめてやらねば」
親方は男を連れて人相見の許を訪れ、男を入り口の脇に残して客を装い占って欲しいと告げた。人相見は、しげしげと親方の顔を見つめた。
「別段何も出ていないが、あなたは占いをみて欲しくて来たのではないね。ほかに何か理由があるのだろう」
人相見は席を立って表を覗き、男が立っているのを見つけた。
「おやあ、これは不思議だ。ちょっとこっちへ来なさい」
人相見は男の様子をつぶさに改めた。
「あなたは去年の冬に観たことがある。今年の夏までには必ず死ぬと占った人だ。めでたく生きながらえ、こうして来られたのは私の観相学が間違っていたということか。ささ、上がりなさい」と座敷へ招き入れ、天眼鏡を掛けてとっくりと相を見定めた。
「ううむ、去年観たのとさして違うところはない。ひょっとして誰か、人か物の命を助けたことはなかったかな。そうだろう」
親方と男は口をぱくぱくさせていたが、どうにか両国で女を助けたことの一部始終を話した。
「それだ。それで相が変わったんだね。もう大丈夫だよ」
人相見は両手をぽんと叩いて頷いた。
大喜びした親方は男を還俗させ、越後へ送った女を呼んで夫婦とした。夫婦はいまも幸せに暮らしているという。