石谷備後守、後の淡路守は和歌を好む人であった。
あるとき、御留守居になって依田豊前守と同役になったことがある。
「豊前守は剛毅木訥のお方で、老いてからは筆頭ゆえ、そのわがままには苦労をさせられた。関所の手形などについても、とかく理屈を立てて困らせられたことが多かったので、ひそかに口ずさんでいた歌があった」と微笑して私に教えてくれた。当世の風潮をよく表しており、面白いので記す。
治まれる代にも関路のむつかしはあけてぞ通す横車かな
(いくさのない天下太平の世の中とはいえ、関所を守るのは難しいものだ。なにしろ横車(無理難題)をたびたび通さなければならない)