享保の時代に藪主計頭という人がいた。御側衆を勤め、隠居して大休という号を名乗ってから後も登城したことがあった人である。主計頭は常日頃倹約に勤め、存命中から子孫へ金塊を三つずつ、その間柄に応じて分け与えたという。
ある人が蓄財の秘訣を尋ねると、次のように答えた。
「風雨や地震などがあると家来を呼び、『昨夜の嵐で屋敷にどれほどの被害があったか』と尋ねる。家来もそれに応じて、何の被害もないとしても『これこれこのような被害が生じ、修理にはおよそ何十両かかります』と答える。このようにして、その金額を貯めておくのだ」
ばかばかしいようだが、贈答、冠婚葬祭、朝夕昼夜、すべてにわたりこのような定めを設けていたので、だんだん金が貯まるのだということである。