全庵は元々讃州の生まれであり、松平讃岐守の医師である。医術の評判が高かったため、将軍家御台様が御不予で臥された折、治療するようお召しがあった。
貴人であるため、御台様が惟幕を隔てて差し出した腕をとって診察するよう命じられたのだが、これに全庵が異を唱えた。
「医術というものは御容貌その他、血色すら見ることなしに施すことのできるものではございません。脈診だけでは、病の見立ても御薬の調剤も不可能でございます」
これが尋常ではない不敬の罪に問われ、讃州に蟄居を仰せ付けられることとなったという。
後日、将軍家に御不予があって召され、御薬を差し上げたところ無事平癒されたため、食禄を給わるとの御沙汰があったのだが、全庵は高齢を理由にこれをお断り申し上げた。全庵は歩行が不自由であったため桑の杖を下さることになり、食禄は倅の文哲が給わることとなった。
現在の文哲家には桑の杖と林大学頭から贈られた添状が家宝として伝わっている。現在の当主は当時の文哲の孫に当たるという。